がんばりたくない日々

楽しいことと考えることと趣味と

自分の時間

多分人間誰しも自分の時間が一番大切だと思っているじゃないですか。

私も例に漏れず自分の時間が一番なにより大切です。無くなるなら死んでも良いくらいに。

 

この「自分の時間」って人によって種類も強度も価値も違くて、

例えば私は「自分が一人で」「何にも邪魔されず自由に過ごせる時間」が「命より大事」

だと考えてます。でも真逆の人もいて、例えば

「誰かと一緒に居る」「多少の邪魔まで許容出来て『自分の時間』として崩壊しない時間」が「少なくとも週三は欲しい」

人がいるとします。こういう人はこういう人同士で誘い合って、週末遊びにでかけたりしても競合せずに「自分の時間」を確保して精神力を養えられてると思うんです。でもこういう人の「誰か」の部分の対象が私みたいな人だった場合、バチバチにぶつかり合うことになるんですよね。でも

私は一人で家でぼーっとしてたい

相手は二人で外に出たい

この二つが対立した時って、大体後者が正しいという風潮になると思うんです。対等な欲求であるはずなのに。

こう文章にするとそんなこと無いと思うかも知れませんが、馬鹿正直にこの二人が会話したとすると

「週末一緒に映画見ない?他誰か誘っても良いけど。」

「めんどくさいからパス。家で一人でぼーっとしてたい。」

こうなると、「あいつ付き合い悪いな」ってあまり良い印象じゃなくないですか?

もっと現実味のある返答だと「いやちょっと用事があるから…」となると思うんですけど、つまり後者の人も良いことではないと自覚しつつ、また理由無く断ると角が立つことを理解して言ってると思います。

でも私がここで言いたいのは、人付き合いが苦手な人とかあまり人と遊びに行かない人は決して「人嫌いではない」ということです。断る人がみな人を嫌ってたりするわけではなく、なんなら万全の精神なら一緒に小旅行だって行きたいけど、でもあまり日常的に人と会うのは苦手な人もいるということなんです。

 

 

 

なんか書き出すまでは強い感情があったのに書いてたら自分の理論の破綻に気付いて尻すぼみになってしまった…

要するに「一人でのんびりしてる時間」に「暇ならあれして!」とか「予定ないならあれしよ!」と言う人に、その時間は私にとっては暇な時間なんかじゃない!!!ということに気付いて欲しいという話です。なんだそれ。自分勝手か。