がんばりたくない日々

楽しいことと考えることと趣味と

繋がる

人は人との繋がりを求めるものなんですね。

これどうにかなんないんでしょうかね。

それとも私だけ極端に繋がりを欲してるだけなんでしょうか。

 

長いこと人と会わないと心が押しつぶされそうになります。

でも会ってないわけじゃないんです。今日一日中友人を家に呼んでいたんです。

でも何も満たされなくて、誰かに会いたくて、話したくて、でも「誰か」を具体的に想像しようとしても誰一人当てはまらないんです。

 

私は心が狭い人間です。独占欲の塊です。多分俗に言う「重い」人間です。

ヤンデレとかって称される人間はまだいいです。人に迷惑をかけていることは正しいとは言えませんが、そういう人たちはちゃんと行動して、納得しようとしています。それだけの勇気があるのです。

私は心が狭い人間です。なのでただの友達でさえ、私を一番に思ってくれるような友達を欲します。それは遊ぼうと思った時常に私を呼んでくれて、常に私のことを考えてくれて、私に全てを話してくれるような、そんな友達が欲しいのです。友達じゃなくても恋人でもパートナーでも生涯の伴侶でもなんでもいいです。老若男女問わず、私を好いてくれて、正直に私と付き合ってくれる人が欲しいのです。

そして私の友達が知らない友達と遊んでいることを知ったり、私の知らない情報を友達と別の友達で共有していたりすると、嫉妬します。親友とは呼べないような(と言うのも失礼ですが)浅い友達でさえ、そういったことがあると激しく嫉妬の念を抱いてしまいます。

私は誰かに依存したく、また依存されたいのです。

言葉にすると確かに気持ち悪いのは自分でも分かります。私だってこんな辛くて、こんな醜い感情は抱きたくありません。ですが今の私の素直な欲望ですから、仕方在りません。そして気持ち悪さが分かるので、私はストーカーのような行動は起こせません。たまに心が限界に達した時はそれに近い動きはしますが、それである人に嫌われたことが今の私にはとても心に残っています。

「あの人が私だけを見ていなければ駄目」と信じて行動出来る人を、私は肯定はせずとも尊敬します。私にはそれが出来ないので。それで嫌われたらと思うと私はどうしようもありませんから。

社会的にはおかしいことで、大勢の人から軽蔑されるようなことだとは分かっていますが、それが出来ない所為で私は苦しいのです。ただ、私が苦しいだけです。どうしようという気もどうにかして欲しいという気もなく、ただ苦しいと思う、と、ここに書き連ねて、この気持ちを紛らわしているだけです。

私は人に嫌われることが嫌いです。なので人に本心を見せることは出来ません。

私と同じような重い人となら話が存分に出来て、お互い好み合えば満たされるだろう、と考えることもあります。ですがおそらく私みたいな人はみな自己中心的なので、私を好いて欲しい、という人が集まっても相手が満足するほど相手を好くことは無理なんじゃないでしょうか。

私は基本皆を好いています。そして同時に嫌っています。これは私なりの自己防衛です。「人に好意を示せば好意を持たれやすい」、という理由の好意を示し、「人に嫌われても自分も嫌いであれば傷は浅い」という考えからいつでも切り離せる程度には人を嫌っています。もちろん例外的に切り離されたくない人間もいるには居ますが、だからって嫌われたくないので必要以上の接触は避けます。これが好かれない理由の一つでもあるのでしょうが。

私が孤独を好むのは、人と居れば自分の嫌な部分が露呈し嫌われてしまうから、露呈しないように気を張るのは精神的な疲労が激しいから、という、とても幼稚で、浅はかで、くだらない理由からです。そこにはなんの主義主張も、芯も通っていないのです。

私が、俗に言うウェイ系であったり、もしくはつまらないことを大声で言うようなタイプの人を嫌うのは、ただのルサンチマンです。私にはそうする能力も勇気もないから、そういう人を軽蔑することで自尊心を保っているに過ぎないのです。

この文章だって、誰かにみてもらって同情してもらいたいと思いつつ、誰にもこの私の醜い部分をみて欲しくないという、自分勝手でなんとも屈折した精神で書いています。そしてこう書くことすら、自ら白状するという誠実さをアピールしたいという醜い願望が含まれています。

私は嫌われたくないがために人類全員を好き、誠実であろうとします。でもそれは私の醜いエゴの詰まった愛と誠実さであり、そんな私が大嫌いなんです。

そんなエゴを私は隠しているつもりで生きてきました。ばれているのかもしれませんが。ですがもし隠し通せてるなら、他の人はどうなんでしょうか、と私は思います。

私は私の考え方しか出来ません。いくらねじ曲がっていようが、いくら一般論から逸脱していようが、その考え方しか出来ません。ですので、他の人はこんな苦しみを味わうことなく生きているのだとしたら、それはとても羨ましいことです。

ですが、私が隠しているように、他のどんな人でも人には言えない醜い部分があるのだとしたら、そしてそれを内に秘めたまま、仮面を被り、社会が回っているのだとしたら、それはとても恐ろしく、楽しい現実だと思いませんか。