がんばりたくない日々

楽しいことと考えることと趣味と

花に嵐

桜が咲いたと思ったら寒いし雨だし。花見をしたいと思ったりもしたけど散るんじゃないでしょうか。ままならない。

 

年度も変わり先輩もいなくなりバイト先も潰れなんだか悲しいです。

さよならだけが人生だと思います。また来る春なんてさよならのためのバネでしかありません。大切な人に盃を満たされたところで希望も腹も膨れずただ悲しみが膨れるだけです。

私は一人っ子ですが兄弟姉妹が欲しいとずっと思っています。単純に同年代の人と暮らす楽しさへの憧れもありますが、それ以上に人生において切れることのない、死ぬ時期も近い人間がいるのっていいなって思うんです。

恋人とかがそうなってくれればんですけどね。私は悲観的なので離婚離別その辺りの言葉が常に頭に浮かびます。

そういう意味では義兄弟なんて言葉も羨ましく感じます。盃を交わし誓う。ある種の結婚ですね。ヤのつく世界はブロマンス。もんもんの桜は散らないですし。

 

離婚も転職もなんだか昔以上に気軽な言葉になった気がします。いや昔を知らない若輩者ではございますが。自立、個人、自由なんて言葉は強者のためにあるので私のような個性もなく自己愛だけ強い人間には息苦しい。ゆるりと不可抗力の集団に埋もれて集団の幸せを自分の幸せと勘違いしながら死んで行きたい。寂しさも感じずに。

 

物悲しい気分ですが現実は否応なしに新生活を強いてくるもので、この感情に浸っている暇なんてないんでしょうけどね。

 

悲壮と堕落とに身をやつしたところで誰も構ってなんかくれませんで。がんばろうな。がんばるしかないんだ。その先に何かあるのかしらんけど。

あうとぷっとできん

小説が好きです特に絶望するタイプの。

つら~いお話しが好きなので、だんだん作って人にぶち当てたいと思うようになりました。

具体的にはTRPGのシナリオを書こうと思いました。

 

 

 

書けないねぇ…………

あんだけ本映画ゲームのシナリオが好きで摂取してきたのに引き出し空っぽなにも出てこん。なんだったんだ私の長年の積み重ねはどこいったんだ。悲しい。吐きそう。

 

とりあえず簡単なものを作れって聞いたので完成させることから始めようと思いました。頑張ります。という決意表明。

会話難しいねっていう話

※自語り愚痴です

 

人と会話することが致命的に向いていません。まず人に興味が持てません助けてください。

 

人と話してて自分が話せるような面白いこともなければ、人が話すことに興味を持って聞くことも出来ないので、人と話せません。話す意味がまず分かりません。

いや人と話して楽しいこともあるけどさ…あるかな…分からん。

人と会うときに絶対メリットデメリットを考えてしまって、話してるなら本読んだ方が私はいいな、でも話して好感度上げとくとどっかで助けてくれるかな、みたいな発想が常にあります。だから話せる機会があるときは必死に話そうとするし、話してるとあれ私なんでこんな必死に会話してるんだろうって気になります。

話さなきゃ幸せなんですよね。でも友達がいないのは嫌なんですよ。寂しいので。

議題が決まってる話はそこまで苦手じゃないんですよ。それに対して考えたことを話すことで、いろいろな人の価値観を知れるっていうような私割と好きなので。でもフリートークになるとさ、角を立てずに盛り上げていかないとって感覚で会話するとしんどいです。多分そんな事を考えてる人との会話もつまらないでしょうから相手も退屈してると思います。

輪に入ることも会話を切り出すのも苦手です。所謂キョロ充です。

飲み会のような場に率先して顔を出す人がいることは分かります。自分も参加する機会なんていくらでも存在していることも分かります。でもそれより家でゲームしたり本読んでいたりしたいです。ってなったときに、私が気になるのは、この二つでどこにどんだけ差が生まれるかってことです。どっちをとるかを自分で納得して選ぶために。

ベースとして、私は当然人に好かれたいです。全人類に好かれて一目置かれたいです。でも人と絡むのはめんどくさいからいやなんですけど。

人に好かれたい欲求を持つのでそれを満たすために人と会いたいと思うんだと思うんですよ。私。でも苦痛なんですよ。そこなんですよ。そんな自分の愚かな感じが嫌で困ってるんです。

一人でさ、引きこもってなんやらかんやらしてるのは大好きです。それはそうなんです。でもそうしてる間にも他の人は他の人と交流を重ねてるって思うと辛いんです。どうしたものか。

人と話して交流を深めると、助けてくれる手札が増える、承認欲求が満たされるって事があると思って、でも人との会話の内容自体に実利はないとも感じてる。

もいっこ言うと私たまに人と話すの大好き人間になるってのがまた困り所。寂しいのもあるし、単純に会話したいって欲求が生まれることもあるなぜか。そういうときの話し相手をキープしときたいなって気持ちもあるんですよね。適当に話すんじゃ無くてある程度気心が知れた人と会話したいから。

わからなーい。分からん。なんで人と話したいんだろう。人と接したくない。でも人と話さないと漠然とした焦燥感がどんどん膨らむし。わーーん。

にゃーううにゃんにゃ。たすけて。一生人と話さずコンテンツだけを消費していていきたい。

です。

駄文の記録でした。

Say 性 所為

トランスジェンダーの方はどういうモチベーションで思い立ったんだろうという話。

 

先に予防線を張っておくと揶揄する意味合いはないです。

 

女性になりたいと思う男性は、なにをもって女性になりたいと思ったんだろう。逆も然りなんですけど。

なんらかの利点を感じてなのか、自分がなる魅力を感じてなのか、性的指向に適してるからなのか。

私自身は性別って関係ないと思っていて、もちろん身体的特徴や実際の指向の違いにどうしようもない差はあれど、男性が男性を好きになっても良いわけじゃないですか。でも女性になって男性と愛し合いたいという発想は単純な「同性が好き」とは違う考え方をしているんじゃないかなってなんとなく思ってなんとなく文章にしています。

 

本当に悩んでいる方、研究している方からしたら的外れかも知れないんですけど、それはそれとして、私が思ったのは性自認ってまず男性と女性って言う性を認識して、違いを確認して、その上で自分と照らし合わせて判断をしている、と思うんです。まず一般的な性のイメージを内面化してからスタートするっていう。軽く調べた限りではどっちの性も違うな~って思う人もいるということらしいんですけど、こう……自分は女性じゃないな、って思ったとして、なら男性だ、とはならないじゃないですか。多分これでならない人が性自認を身体と同じと意識している同性愛者だと思うんですけど。

自分が女性じゃないっていう考えに対して、たとえば格好いい恰好が好きで女性が好きな女性ってあると思うんですよ。それってその人の中での確固とした「女性像」がまずあるなぁって。その場合女性と思われたくないが故のってのはあるのかな。てかそれがメインか。そんな気がする。

 

とっても極端な話、世間が性差をどう扱うか、その世間の中でどう扱われたいか、っていうのが性自認だと思ったんですよ。自認と言うより対外的な意識が多い気がして。「世間一般で言うところの男性じゃないよ」って言うために女性と称しているみたいな?

 

別に主張したい意見とかはなくただ考えをつらつら打ち込んでみただけなんですけどね。

 

極端なたとえの話が続きますが世間が性差を意識しなくなった場合そもそも性自認が存在しなくなると思ったんです。

 

主張したいことがない所為ではなしがとっちらかってきた。ただ私は色々な人の「性」に対する意識を知りたいなって思ったって話。性の差をどう認識しているのか、他人からどう思われたいのか、みたいな。なぜなら自分が分からないから。

 

自分は恋愛対象は定まってなくて、というかその時々で3:7~7:3をふらふらしている感覚があるんですけど、でも異性になりたいという意識はないしな~ってのが思考の発端だった気がする。うむ。

 

恋人が欲しいな。恋人が欲しいのかな。それも分からんわ。ぷえ~~

 

PS 言葉狩りの必要は無いと思うんですけど、単純に「ボーイッシュ」とか「女々しい」とか「男を見せろ」とかそういうワードってね、今どき言外の部分でなにかを感じてしまって用いにくくないですか。ね。

 

PPS 診断してみた。シスジェンダー、バイロマンティック、デミロマンティック、アセクシュアル、ノンバイナリー、らしい。よ。わかんないけどノンバイナリーだから疑問を抱いたのかもね。

お久しぶりですin就活

ほぼ1年ぶりですね。

特に忙しかったわけではありません。サボっていただけです。

なにごとも継続が出来ません。どうしたらいいですか。

 

忙しくないと言えば嘘にはなるのですけどね。就活時期だったりしますので。

 

なんて言うかアレですね。世の自己分析方法はなにかと不足していると思いました。自分の年表とか、モチベーショングラフとか、書けばいいって言われてもそんなん書いてなんになるんですかいなって。

 

個人的に思ったのは、自分の過去から自分の特徴を見つけ出すのではなく、自分の特徴に自分の過去を当てはめていった方がいいんじゃないかなってことです。人間、生きてりゃ大なり小なり客観視して、自分がどんな人間かなって自意識は持ってると思うんですよ。ならもうさっさと自分にレッテルを貼ってしまった方が手っ取り早いと思うんですよね。レッテルと言っても変に良く見せようとすると120%ボロが出るので、確実に自分が否定できないようなのがいいですよね。

人間なんて複雑怪奇なものですから自分だって自分のことを完全に理解するなんて出来ませんし何がモチベーションって言われてもそんなんしらんわってなりますよね。こんな感じの人~ってのは漠然とは思えてもそれは様々な側面を併せ持った多面体ですから、人に伝えるとなると難しい。

でも一度、例えば「慎重」とか「好奇心旺盛」ってマジで一言かつ否定できないレッテルを自分にペタッと貼っちゃって、そっから自分の沢山の側面たちをそのレッテルに当てはめていった方が自分でも理解しやすいし話しやすいし良いと思うんですよ私は。否定できないレッテルだから大体の側面、エピソードはそこに紐付けられるだろうし、紐付けられない分はむしろそのレッテルの負の側面を補う要素になったりしませんかね?そんな感じで。もしマイナスイメージなレッテルだったらその辺に落ちてる変換表みたいなのググって使っていい感じに整えてしまえば良いんです。嘘つくよりよっぽど考えやすいでしょ。

そんな感じでみっけたレッテルに、自分の個性、ユーモアを一個乗っけると割と良い線行くと思うんですよね。「論理的思考が得意故の」「慎重」とか、「想像力豊か故の」「慎重」みたいな。これで自分の分析は完了するわけですよ。ね。

まあこれをするために自分の歴史を振り返ることは大事かも知れないですけど、世のハウツーが言うような「振り返って考えようね」は結構投げっぱなしじゃないですかね。ここまで具体的に示してくれたらもっと早く動き出せたのにナァなんて思わないでもないんですよ。言わなくてもやれって事なのかな。だろうな。ごめんよ出来なくて。

 

分析が完了したら後はそれを好きになるだけです。

私こういう人間です。こういう人間って良いでしょう?どうです?ぐらいのスタンスだと主体的に動きやすい良いメンタルだと思います。私は出来ないですけど。大事なのは自分側に主体を置くことだと思います。相手側に置いてしまえば、相手の望むことはなんだろう、アレを言わなきゃコレを言わなきゃ、これでいいかなぁ、とまぁメンタルに良くないですよ。でも自分側に置いてしまえばこりゃもうなんてったって言ってしまえば自分が自分を自慢したいわけですから。ちょっと聞いて下さいよ私こういう人間なんです。え、証拠?いやそれがこれこれこういうエピソードがあってですね…と言った感じで。レッテルって言う軸も通った魅力的な文章が書けるんじゃないですかね?そこはそれぞれの文章力にもよりますが。

あと面接も大体の質問はこの軸を元にちょっと付け足して答えりゃスラスラいけるんじゃないですか?これもそれぞれのアドリブ力によりますが。

 

なんてね、ここまでご高説を垂れてきた訳ですけど私別に大手10社内定とかリクルーターとかでもないですし単純に私が思ってしたことの備忘録ってだけなのでもっと良い方法があるとか言われたら何も言えないんですけどね。まだまだ就活中の身ですし。

みんながんばろうねえ。