がんばりたくない日々

楽しいことと考えることと趣味と

論理的精神論

趣味でストリートダンスをやっている。

ダンスはまだまだ初心者だが、初心者なりに一つの上達のコツみたいな物を見つけた。それが「かっこつけたいという意思」だ。

ダンスはスポーツであるから、それには運動神経であったり筋肉であったりと物理的な要因が多く存在するのは確かである。しかし、それ以上に「かっこよく踊りたい」という意思がなくては上達もしないと思う。これは「上手くなりたい」とは少し違う物だ。

「上手くなる」だけなら確かに手足の動きをコピーすればある程度は出来るようになるだろう。しかしそこからよりなめらかでこなれたような雰囲気を出すことがストリートダンスには必要だと思う。そこでの議題はもはや上手さではなくかっこよさなのだ。

もちろん「かっこよくなりたい」という意思があれば同時にかっこいい人の動きを細かく研究し、鏡で自分の動きを確認し、そして練習を積むだろうから、そこに関しては一般的な上達への努力と同じだ。しかしその上で「かっこよくなりたい」という単純な意思はモチベーションの維持にもなり、よりかっこよさにこだわった細かな研究へと繋がるだろう。またかっこつけよう、つまり人に見せつけようと思えば、恥ずかしいなどとは思わず堂々とパフォーマンスを行うことが出来る。

これはダンスに限ったことではない。

決して「思えば出来る」といった精神論を語るわけでなく、努力と上達を支える物としてある種の情熱、意思があれば、目標はより近い物となるのではなかろうか。