がんばりたくない日々

楽しいことと考えることと趣味と

滑り込みアウトからの気配の話

寝るまでが「今日」みたいな認識有りますよね?そういう事だと思います。

 

 

本日の質問

 

Q.音もしないのに振り向くことがありますか

 

A.ある。

 

「幽霊」とかそういうワードって完全にオカルトになって信じる~信じない~の話に続いていきますけど、「視線」って普通に在るものとして話されてません?まぁ相手の眼が見えてる状態での、実際に視認出来るものとしての視線の話が多い、と言ってしまえばそれまでですけど。でも後ろからの視線も科学的には根拠がないのに割と普通に扱ってますよね。なんなんですかね?

気配とかって、音とか視覚情報ではない何かって扱いになってますけど、実際は人間の動物の部分が無意識的に何かを感じ取ってるのかなとふと。気にしない程度の音だったり風だったり匂いだったり。結局視線もその延長な気はしてきますけど。

ただ分からないのが振り返って何もなかった時。これはもう…何なんでしょう…?

人間は知らないこと、分からないことに対して過剰に妄想し恐怖を感じる…んでしたっけ?例えばその何かの原因はダークマターの所為ですよとか重力波の影響ですよって科学的な説明が添えられれば安心するんでしょうか?

科学と宗教の違いはその再現性だと思います。宗教は後付けだから説明されてても今後のことは「神のみぞ知る」、科学はロジカルだから今後のこともある程度延長線上に見えてくる。もしその「よく分からないなにか」が誰かの死後の姿だった場合、それが科学的に解明されれば自分の死後も分かってくるはずで、そう考えると何かちょっと楽しい気もします。確かに死後のうのうと生きてる生者にちょっかいを出せるならちょっかい出したくなる気もしますよね…でもそうなるとそんな悪戯が蔓延してしまう気もするので、もしかしたら生者への悪戯はその世界では違法行為で、専門の警察が取り締まってるのかも知れません。

分からないことって恐ろしい妄想も出来ますけどその分楽しい妄想も出来ますよね。そんなことを考える質問でした。

 

なんか質問からどんどん離れてしまったので質問に沿ってそうなそれっぽいひとことをば。

 

 

音もしないのに振り向く、それは自分自身が振り返りたい時なのかも知れません。そんな時は一旦その歩みを止め、これまでの自分を振り返ってみるのも良いかもしれませんね。

 

どっとはらい